精霊機伝説ヴァイオレントドール
「肝試しをしよう」 「……久しぶりだな」 ランタンに灯る炎のような朱の長い髪を、みるからに「面倒だから」と言いたげな手つきで無造作に束ねた男は、視線を書類に向けたまま、口をひらいた。 「……もう、五年になるか」 宮殿の一室……それも、何人もの衛兵たちが交代で夜通し守り続けなければならない貴人たちの私室の中でも、最も重要とされる人物たちが使用している区画にあるその部屋は、真夜中であるというのに、いくつものランタンで照らされ、非常に明るかった。 もっとも、それだけ彼……フェリンランシャオ帝国宰相、ファヤウ=プラーナが多忙な人間である……ということなのだが。 「あら、驚かないのね」 意外そうな声をかけたのは、一人の女性だった。 真紅の髪と瞳、そして身に纏う服も、四等騎士の印である真っ赤な制服。 「別に、この部屋に現れる亡霊は、お前が初めてではないからな。……むしろ、執念深いお前にしては、遅いと思ったくらいだ」 「………………っとぉーに相っ変わらず、可愛くないわね」 まったく、この男は……。眉間に深々と皺を刻みつつ、メガエラははぁ……と、ため息をはいた。 「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」 「なんだ? お前もいつもの連中のように、オレに対する恨み言か、家族に対する遺言でも、言いにきたんじゃないのか?」 違う……とメガエラは言いかけたのだが、よくよく考えてみたら、たしかに当初はそのつもりだった。 しかし、肯定してしまうのは、なんだかシャクだったので、メガエラは適当に言い繕う。 「その予定だったんだけど、都合により変更を余儀なくされました。……あんた、なんでアレクトと結婚せずに、メイと一緒になってんのよ」 一瞬、ファヤウの視線がメガエラを捉えた。 メガエラはジロッ……と、ファヤウを見下ろすと、ツカツカと近寄り、ゲンコツで机を叩……こうとして、思いっきりすり抜けた。 「……一体何がしたいんだ? お前は」 「つ……つい、いつものクセよ。生前のッ!」 すり抜けた拍子にずっこけたメガエラは、今度は半腰の状態で、上目づかいにファヤウを見上げた。 「不気味な真似はやめろ」 まるで水中から頭半分だけ水面に出てきたように、机の天板の中央から見上げるメガエラの鼻を、ファヤウは指ではじくフリをした。 もっとも、ファヤウだって、もう彼女に触れることができないということは、承知の上だったか。 実のところ、今までファヤウを訪ねた騎士の亡霊たちは、かなりの人数にのぼるのだが、こんなことは初めてだった。 メガエラ相手だと、ファヤウはいつも、調子が狂う。 生きていた時も、死んでしまった今となっても。 「アルティメーアとの結婚は、重臣会議で決まった事だ。……お前は、プラーナの歴史を知っているだろう?」 表向きの一般人にはほとんど知られていない話だが、そう遠くない過去……ファヤウの祖父の代に、フェリンランシャオを統べるバーミリオン皇家から、プラーナ家は権力を奪おうとしたことがある。 祖父の野望は未遂に終わったが、そのせいで、傍系の末息子とその妹以外の一族は、表向き『病死』という形で全員暗殺され、当主となった末息子……ファヤウの父が、妹を当時の皇帝に妻として差し出すことで、ようやく和解が成立したのだ。 故に、バーミリオン皇家に次ぐ四家名門と言われながら、今のプラーナ家の発言力は、以前と比べると、非常に微々たるものとなっている。 「いまでこそ宰相の地位があるが、あの時は重臣会議や貴族会議に出てくる連中の意見をひっくり返せるほど、オレには発言権がなかった。なによりあの時は、大半がアレクトの事を……諦めていた」 アレクト=ガレフィスが孤独を嫌う理由。それは、過去に一度、敵国の捕虜となった経験があるからだ。 彼女は本来、戦には縁のない神女長候補でありながら、昔からとある『理由』で、戦場にでざるを得ない状況だった。 その過程で風の精霊機『アレスフィード』の正式な操者となり、ファヤウとともに戦っていたのだが、彼女が十六歳の時、その事件はおこった。 ファヤウも先の皇帝マシュナも、何度も彼女の奪還作戦を計画したが、すべて失敗。不運な事に、その作戦の最中、皇帝が戦死するというオマケ付きである。 残された『正当なる皇族』は、マシュナの同母妹、当時十四歳のアルティメーアのみ。 国力を保つための、『結婚』。従兄であり、地には落ちても名門の血筋の若き当主。ファヤウ=プラーナは、幼い女帝の伴侶として、これ以上もない人材だったのだ。 敵国の反皇帝派の力を借りて、アレクトがフェリンランシャオに戻ってこれたのは、彼女が捕まって、約二年後の事。 彼女の腕には朱の髪に青い瞳の赤子が抱かれ、一方ファヤウはというと、女帝とは別の女性との間に、双子の娘を授かっていた。 そう……すべて、何もかもが遅すぎた。 「解せないのは、そこなのよねぇ」 ビシッと、メガエラが先ほどのお返しとばかりに、ファヤウの鼻先を指ではじく。くどいようだが、触感はお互いに無い。 「あんたはいい人装ったひねくれ者で、切れ者なんだけど、腹黒くて性格悪くて、純粋に良いと褒められる部分は、正直なところ……顔だけなんだけど」 「おい……」 堂々と言い放たれるメガエラの悪口の数々に、ファヤウはさすがに表情を歪める。 しかし。 「少なくとも、『自分から言い出した約束』を、自分から破るようなヤツじゃないわ」 約束……その言葉に、ファヤウは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。 「あんたは、『アレクトを幸せにする』って、私に誓った。たとえメイとの政略結婚があったにしても、安否のわからないアレクトほったらかして、他の第三者にウツツをぬかすようなヤツじゃ、決してないわ」 先ほど、ほんの数時、メガエラが一緒に過ごした少女……。 「あの子……本当に、あんたの娘なの?」 いぶかしげな赤い視線が、ファヤウを貫く。 「参ったな……」 ふう……と、ファヤウはため息をはくと、持ってた書類を机の上に置いた。 彼女は正直で、頭の回転が速く……なによりなかなか、勘が鋭い。 だけど。 「髪と目の色は、どう説明する気だい?」 肯定とも否定ともとれぬポーカーフェイスと質問返しに、メガエラは黙り込んだ。 朱の髪と瞳は、皇族の中でも特に血の濃い人間に、ごくごく稀に生まれる色。 たとえ両親が朱の髪と瞳をもっていたとしても、朱の髪と瞳の子が生まれるとは、限らない。 しかし。 「それって逆に言えば、あんたみたいに突発的突然変異種とか、そういう可能性もあるんじゃ……」 「人を希少動物的扱いするな」 ファヤウの父は、メガエラのように真紅の髪と目の持ち主だった。メタリア出身の母親に至っては、緑色の髪と瞳。 そう、非常に確立は低いのだが、過去にバーミリオン皇家の血さえ混ざっていれば、誰にだって子に朱が現れる可能性はあるのだ。 そこまで考えて、ふと、話が逸れた事に気がついて、メガエラは首をブンブンと横に振った。 そろそろ、トレドットの土地神が、姿を隠す頃……夜明けが近い。 ほんの気持ち程度だが、窓の外は、徐々に明るくなりつつあるような気がする。 「時間があまり無いんで、単刀直入に本題! 結婚云々はしょうがないにしても……なんであんた、アレクトを神殿に押し込めて、ほったらかしてるのよ」 ……幸せにするって言ったから私、あんたに大切な『妹』、あげたのよ? メガエラにずいっと詰め寄られ、ファヤウは初めて、彼女から視線を、不自然にそらせた。 「仕方ないだろ。……オレを拒絶したのは、アレクトの方だ」 約束を……彼女を幸せにするという誓いを守れなかったどころか、同じ戦場に立ちながら、彼女自身を守りきれなかった事。それは、まぎれもない事実。 彼女から、責められる事も、罵られる事も、覚悟をしていた。 けれども、彼女は自分に会うことを望まず、精霊機を降りることを望み、髪に一生を捧げる事を望んだ。 だから……。 「アレクトの『言葉』を、素直にきいた……ってワケ?」 ファヤウは無言だったが、彼の態度を、メガエラは肯定を受け取った。 メガエラは盛大にため息をはき、そして。 「……あんたって、相変わらず、救いようのないバカね」 「なッ……」 顔を上げたファヤウに、メガエラはデコピン一発。 「バカも大バカ。あの子の事が、何も解かってないッ!」 メガエラはビシビシバシッと、何度もデコピン連発。 「……ダメージ与えられないのが、実に残念だわ」 「何が……言いたいんだ」 ファヤウは声を震わせ、メガエラに問う。 そんなファヤウに対して、メガエラはニッと、口の端を歪めた。 「始めから私に正解をきくなんて、らしくないわね」 私の言いたい事なんて、本当はとっくの昔に解かってるクセに。 メガエラの言葉に、ファヤウの声が、徐々にかすれる。 「だって、そんなの……遅すぎ……じゃ、ないか……」 「そうね、超、遅すぎ」 だから……と、メガエラは、ファヤウの額をもう一度、はじいた。 「高すぎるそのプライドと、女心に鈍感なその性格、丸ごとひっくるめて、アレクトに謝りなさい。そして、この五年間、何があったかを、あの子にだけは、きちんと正直に話す事!」 ……ホントはあの子も、貴方を待ってるのだから。 感覚がないことはわかってはいたが、うつむくファヤウの頭を、メガエラはよしよし……と、昔のように……幼子をあやすように撫でた。 そして先ほど、立場は逆であったが……似たようなやり取りがあったことを思い出し、思わずメガエラは笑みをこぼす。 「……ホントに久しぶりね。こういう感覚」 複雑な身分と立場故に、ヘソマガリで孤独な青年が、隠れて人知れず涙して……そんな彼を、自分は叱咤して励まし、助言を与える。 自分の、大切な……。 「あんたもマシュナも、最後の最後までホント、手のかかる『弟』だこと」 ほんのりと白くなり始めた空に目を細め、メガエラは「お願いがあるんだけど……」と、ファヤウに囁く。 ファヤウは一瞬、彼女の言葉に目を丸くしたが、彼女の最後の『遺言』に、コクリ……と、素直に頷いた。 窓から段々、明るく差し込んでくる日の光に溶けていくよう、段々薄まっていくメガエラの姿を、ファヤウはじっと、静かに見つめる。 「長居しちゃって、ゴメンね。……でもまぁ、寂しがらなくても大丈夫。近いうちに、迎えにきてあげるわ」 「さらりと何気に、縁起の悪いことを言うんじゃない」 やれやれ……と、苦笑を浮かべたファヤウは、ため息をはく。 冗談なのか、本気なのか。まるで、ファヤウをからかっているかのように、メガエラはクスクスと笑い…… 「じゃあ、ね」 今生の別れを告げる者の言葉とは、とても思えぬ軽い挨拶を残して、彼女は朝日の中に、消えていった。 一人、残されたファヤウはもう一度、今度は小さくため息をはいて……。 「……安らかに、お休み下さい。義姉上様」 来世があるなら、きっとまた……。 「どうぞ、貴方の弟で、いさせてください」 彼の頬を伝う滴に、彼女の溶け込んだ朝日が、キラキラと反射した。 メガエラ=ガレフィス。 一夫一婦が基本のフェリンランシャオ帝国の歴史において、初にして唯一の公式愛妾となった女性と、皇帝との間に生まれた第二皇女。 父の亡き後は、同母の姉妹とともにその地位を剥奪されたが、異母弟である皇帝マシュナの親衛隊に所属。 常にマシュナとともに戦地を駆け、そして、十九歳の歳に、戦死……。 「よくもまぁ、残っとったモンじゃ……」 五年もの間、砂漠の大地に野ざらしになっていたため、流石に無傷というわけにはいかなかったが……ファヤウの執務机の上にはかつて、飾物ではない実用的な物として作られながら、その美しさから『フェリンランシャオの名宝』と呼ばれた、一挺の長距離狙撃銃が置かれている。 老齢に差し掛かったばかり……といった年齢のその男は、いとおしげにその銃を撫でた。 フェリンランシャオ帝国最高のVD技術士、モルガナイト=ヘリオドール。 机の上に置かれた、狙撃銃『レビ』の製作者にて、銃の主……メガエラの、母方の叔父である。 「遅く、なりました」 ファヤウは申し訳ないと、モルガに頭を下げた。 激戦区で亡くなった人間の遺体を、すべて回収、帝都へ持ち帰るなんてことは、土台無理な話であり……基本的には、故人と判別できそうな持ち物……遺品を持ち帰り、誰の持ち物かがわかったところで、遺族に返却されるのが通例である。 メガエラの銃は、つい先日、帝都に到着した。 それは、メガエラの亡霊がファヤウの前に現れて、三日目の事。 「しかし……何故、わしなんじゃ?」 モルガは眉をひそめ、年若い宰相に問う。 本来、この場に呼ばれるのは、故人に最も近しい親族。 メガエラの場合、同母姉のティシフォネか、同母妹のアレクト二人が、最も相応しいと思われる。 「実は、彼女から言付かった、お願いがあるんです。……この銃をまた使えるようにして頂きたい」 モルガは、我が耳を疑った。 遺品は親族に返却された後、遺体の代わりに墓に埋葬される。 遺品を修理し、また使うなんて……そんな話、きいたことがない。 「なんでも後継者になりそうな、気に入った子を見つけたとかで……自分も、その、なんというか……」 非常に、説明しづらいのだが……と、珍しく煮えきらない返事の宰相に、モルガはじっと目を見て問う。 赤と朱の二組の視線が、しばしの間交錯したが、やがて、ファヤウが降参とばかりに両手をあげた。 「笑わないで下さいよ。心から尊敬する貴方だから、正直に話します」 宰相ファヤウの依頼で修復された狙撃銃『レビ』だが、かの銃は今しばらく、城の宝物庫にて、静かに眠りにつくことになる。 『レビ』が、再び歴史上に姿を現すのは、もう少し、先の話。 そう、朱の髪と瞳をもつ隻眼の女騎士が、水の元素騎士に選ばれる、その時まで……。 FIN Copyright (C) 2009 Asoka Nagumo. 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